十戒の第三戒は「主の名をみだりに唱えるな」です。これはアジア的な思想、諱(いみな)の文化に近いといえるでしょう。高貴な人の本名を目下の者が軽々しく口に出すことを無礼とする文化です。日本でも、上皇、天皇、皇嗣(皇太弟)の名前をいうことも憚られます。英字新聞など外信の方が Japanese Emperor Naruhito と表記されていたりするので、結果として日本人の方が皇族の名前を知らないという人は案外多いかもしれません。聖書の神様もそうなのです。「神」は旧約聖書の原語ヘブル語ではエロヒームです。しかしこれは一般名詞であって、固有名詞ではありません。固有名詞は出エジプト記3章14節で「わたしは『存在する』という名の神である」と神ご自身が自己紹介をされており、その名前はアルファベットに転写するとYHWHとなります。(ヘブル語は母音を表記しない。母音はあるが大人の書物に漢字にいちいちふりがなをつけないのと同様です)この神名は神殿につかえる祭司の間の相伝で伝えられてきたもののこの第三戒を墨守するあまり、紀元70年の神殿崩壊とともに神名の発音も失われました。神殿崩壊以前からこのYHWH(神聖四文字ともいわれる)には主人を意味するヘブル語ではアドナイ、ギリシャ語ではキュリオスを音があてがわれてきました。現代ではYHWHに母音を付けて、エホバと読んだり、ヤハウエと読んだりしますが正しい発音かどうかはわかりません。
エレミヤ書7章2~7節で「主の神殿」を連呼するなとあります。またイエス様もマタイ7章で「主よ主よと呼び求めるものが皆救われるわけではない」と警告しておられます。これは主の名が「くわばらくわばら」や「なんまいだぶなんまいだぶ」というような厄除けの呪文のように空しく唱えられ、神様に対する敬意を失わせないためであるといえるでしょう。日本語に「畏敬」という言葉がありますが、神様を正しく畏れ、正しく敬うように教えているのです。
前置きが長くなってしまいましたが、いかに聖書の神様が本来なら畏れ多い方かということがおわかりいただけたでしょうか? しかしてこの戒めを理解したとき、私たちはキリストが救いを成就した時に会見の天幕がさけ、また神様をアッバ父と呼ぶことができるようになったありがたさをそのギャップによって知る事ができます。アッバとはイエス・キリスト在世当時、現地で使われていた言葉アラム語で父を表す言葉です。いや、もっと親しみを込めた言葉で、父ちゃん、パパ、ダディーという言葉の方が近いでしょう。
本来神の名を呼ぶことも許されなかった者が神の家族とされ、神をパパ、父ちゃんと呼べるようになったのですから・・・イエスキリストの十字架の福音は私たちの罪を取り除いただけでなく、私たちと父なる神様との間柄を恐れ多くも家族の立場にまで引き上げてくださったということを知っていただければ幸いです。
サムネイルはゴヤ作「神の名による礼拝」絵の中央の三角系の中に神名の神聖四文字が見える。
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