ルカ24章1~12節 キリストの復活 私たちの希望

ルカ24章1~12節 キリストの復活 私たちの希望(2026-04-05 礼拝説教) 説教

ルカ24章1~12節 キリストの復活 私たちの希望

イースターは、イエス・キリストが死を打ち破ってよみがえられたことを喜ぶ日です。そして本来、私たちは毎週の日曜日ごとに、この復活を覚えて礼拝しています。なぜなら、復活はキリスト教のおまけではなく、信仰の中心そのものだからです。十字架だけなら悲劇で終わります。しかし主は三日目によみがえられました。ここに私たちの希望があります。

復活の朝は、最初から喜びに満ちた朝ではありませんでした。女たちも弟子たちも、主の死によって深い悲しみと沈黙の中にいました。私たちの人生にも、祈っても何も変わらないように思える「安息日の沈黙」があります。しかし、その沈黙の中でも神の御業は止まっていません。見えないところで、神は救いを進めておられます。

女たちは香料を持って墓へ行きました。復活を期待していたのではなく、死んだ主に最後の愛を尽くそうとしたのです。けれども墓は空でした。そこで御使いは言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」この言葉は、私たちへの問いでもあります。私たちは、救いをどこに探しているでしょうか。お金、評価、実績、過去、そうしたものは最後まで私たちを救えません。死を打ち破ることのできる救い主が必要なのです。

イエス・キリストは本当に死なれ、本当によみがえられました。それは私たちの罪を担い、神の裁きを引き受けるためでした。そして復活は、十字架が決して失敗ではなく、この方こそ救い主であるという父なる神の宣言です。希望は状況の好転からではなく、主の言葉を思い出すところから始まります。

復活は「絶望が最終結論ではない」という知らせです。もし「もう遅い」「自分はやり直せない」と思っている方がおられるなら、どうか聞いてください。墓は終わりではありません。主はあなたのために死に、あなたのためによみがえられました。この復活の主が生きておられるから、私たちの罪は赦され、祈りは空しくなく、明日にも希望があります。今朝も、復活の主こそ私たちの希望です。

サムネイルはフラ・アンジェリコ作『キリストの復活』

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