特別伝道礼拝「ちびまる子ちゃんと聖書」 第一テモテ1章15節
『ちびまる子ちゃん』の第50話「まる子 教会へ通う」では、まる子はお菓子目当てで教会に出かけます。ところが、聖書の話を聞いて驚き、自分の悪さを思い返して不安になります。その姿から、私たちがキリスト教に抱きがちな4つの誤解を考えてみましょう。
第1は、クリスチャンに対する誤解です。クリスチャンは品行方正な聖人君子なのでしょうか。聖書が語るのは、神様に罪を赦された罪人です。教会も、そうした人たちの集まりです。立派になったから教会に来るのではありません。弱さや失敗を抱えた者が、神様の赦しを受け、助けられながら歩んでいくのです。クリスチャンであることは、自分は正しいと誇ることではなく、自分にも赦しが必要だと認めることなのです。
第2は、神様に対する誤解です。聖書の神様は、数ある神々の一人ではありません。人間が想像してつくった神様ではなく、人間を創造した神様です。この世界と私たちを造り、命を与えてくださった創造主なのです。「リンゴを独り占めしたかったのか」という見方では、神様と人間との関係を見失ってしまいます。
第3は、罪に対する誤解です。「私は罪人ではない」と思うのは、罪を警察のお世話になるような犯罪だけに限って考えるからでしょう。聖書のいう罪には、うそやごまかし、人を傷つける心も含まれます。そして、その根には、自分を造ってくださった神様を神様として敬わず、自分中心に生きる姿勢があります。親を無視して生きることを親不孝というなら、これは「神様不孝」なのです。
第4は、救いに対する誤解です。病気や借金、人間関係の悩みが解決することをご利益として期待する人もいるでしょう。しかし、聖書が語る救いの中心は、私たちの罪に対する神様の正しい裁きから救われ、神様との関係を回復されることです。まる子はお父さんにとりなしを頼みますが、同じ罪人である人間が、神様の裁きを引き受けて他の人を救うことはできません。だからこそ、罪のない神の独り子イエス・キリストが来てくださいました。キリストは私たちの罪を担って十字架にかかり、復活してくださいました。救いは、立派さへのご褒美ではなく、キリストを信じる者に与えられる神様の恵みなのです。
教会に来るきっかけは、お菓子でも友達でもかまいません。その出会いを通して、私たちを造り、罪を赦し、新しく生かしてくださる神様を知っていただきたいのです。


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