Kvi Baba「Friends, Family & God」を神学してみた。―教会が知らないところで、若者は「神様ありがとう」を聴いている

サブカルを神学してみた

Kvi Baba「Friends, Family & God」を神学してみた。―教会が知らないところで、若者は「神様ありがとう」を聴いている

日本人クリスチャン音楽家

久米小百合さんを知っているでしょうか。

「異邦人」を歌った久保田早紀さん、と言えば分かる人もいるでしょう。後に彼女はクリスチャンとして、久米小百合の名で福音を歌うようになりました。

本田路津子さん、森祐理さん、小坂忠さん、岩渕まことさん。日本にも、キリスト教信仰を隠さずに歌ってきた音楽家たちはいました。

小坂忠さんは、ポップスの第一線で活動した後、牧師としても歩み、教会音楽と一般音楽の境界を越えて、長く日本のクリスチャン音楽を支えてきた人です。岩渕まことさんも、ギターと歌を通して、教会の内外で福音を届けてきました。

ただし、名前を挙げながら気づきます。

若い人、ほとんど知らんのとちゃうか。

ところが今、若者たちが聴いているヒップホップのど真ん中で、「Jesus Loves You」と掲げるアーティストが売れています。

その名は、Kvi Baba。

読み方は「クヴィ・ババ」です。初見では、なかなか読めません。私も最初は「クビババ」だと思っていました。

しかし、名前の読み方以上に、日本の教会は彼の存在そのものをまだ読めていないのではないでしょうか。

「Jesus Loves You」でメジャーに出た男

Kvi Babaは1999年、大阪府茨木市生まれのラッパー、シンガーソングライターです。

孤独、不安、自己嫌悪、家族の崩壊。自分の内側にある暗い感情を隠さず、それを歌とラップの間を行き来するような独特の声で表現してきました。

2019年にEP『Natural Born Pain』を発表。直訳すれば「生まれながらの痛み」です。

そして2023年、トイズファクトリーからメジャー1stアルバムを発表します。

タイトルは、なんと『Jesus Loves You』。

「神はいるかもしれない」とか、「大いなる何かに感謝」とかではありません。曖昧なスピリチュアル表現に逃げず、いきなり「イエスはあなたを愛している」です。

しかも本人は、J-WAVEのインタビューで、はっきりと自分をクリスチャンだと語っています。信仰を持っていても苦しく、どうしようもなかった時期に、同じような葛藤を歌う曲に救われたとも話しています。J-WAVE/radikoのインタビュー

信仰を持てば、悩みが全部消える。

クリスチャンになれば、酒にも逃げず、落ち込まず、いつも笑顔で「ハレルヤ」と言える。

Kvi Babaは、そんな優等生的な証しをしません。

『Jesus Loves You』について、彼はこう語っています。

「こんなふうに弱いし、めちゃくちゃなんだけど、それでも神様に愛されているんだ」

これです。

これは、かなり福音の中心を突いています。音楽ナタリーのインタビュー

イエス・キリストは、「もう少しまともになったら愛してあげる」とは言われません。私たちが弱く、めちゃくちゃで、まだ罪人であったときに、キリストは私たちのために死んでくださいました。

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマの信徒への手紙5章8節)。

「弱いけれど愛されている」のではありません。

弱さまで全部知られたうえで、それでも愛されている。

これが福音です。

一億回聴かれた「神様ありがとう」

そのKvi Babaが2024年に発表したのが、「Friends, Family & God feat. G-k.i.d & KEIJU」です。

Kvi Baba、G-k.i.d、KEIJUという三人のラッパーが、それぞれの友人、家族、故郷、失った人々を振り返ります。

登場するのは、きれいに編集された成功物語ではありません。

お金がなかった頃。一つの食べ物を分け合った仲間。電話帳には番号が残っているのに、もう電話をかけることのできない友人。愛する者をこれ以上連れていかないでほしいという祈り。

その中でKvi Babaは、こう歌います。

「生きる限り弱き民だから」

ヒップホップには、自分の強さ、成功、富、地位を誇る「ボースティング」と呼ばれる文化があります。

ところがKvi Babaが誇るのは、俺は一人でここまで来た、という強さではありません。

振り返れば、自分は一人ではなかった。

友達がいた。家族がいた。そして神がいた。

だから神に感謝する。

これは、聖書が教える「誇り」の逆転に近いものがあります。

パウロは、「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」と語りました(コリントの信徒への手紙二12章10節)。

自分の弱さを見せないことが強さなのではありません。

弱さを認め、それでも自分を支えている恵みを語れることが、本当の強さなのです。

この曲は、2025年に累計再生数一億回を突破しました。トイズファクトリー公式発表

一億回です。

教会では「最近の若者は神様のことになんて興味がない」と語られることがあります。

ところが、その若者たちが一億回聴いた曲のタイトルは「Friends, Family & God」なのです。

「最近の若者は神を求めていない」と言う前に、私たち教会のほうが、若者の声を聴いていないのではないでしょうか。

「Friends, Family & God」は詩編のような歌なのか

この曲を、牧師としてもう一歩深く聴いてみたいと思います。

聖書の詩編には、感謝だけが並んでいるわけではありません。

「主よ、なぜですか」という嘆きがあり、「敵から救ってください」という叫びがあり、「私はもうだめだ」という告白があります。その後に、ようやく「それでも主に感謝する」という言葉が出てくる。

詩編は、最初から最後まで明るい賛美歌ではありません。

泣きながら祈り、怒りながら祈り、神が見えない場所で、それでも神に向かって言葉を投げる歌です。

「Friends, Family & God」にも、同じ構造があるように感じます。

そこにあるのは、成功したから感謝するという単純な話ではありません。失ったもの、苦しかった時間、戻れない過去を見つめたうえで、それでも自分をここまで運んできた友人、家族、そして神を思い起こす。

これは、現代のヒップホップの形をした詩編なのかもしれません。

詩編の作者が竪琴を手にして神に歌ったように、Kvi Babaはビートに乗せて、自分の人生を神の前に差し出している。

教会の人間は、歌詞に「主よ」「救い」「罪」「恵み」と書いてあるものだけを聖なる歌だと思いがちです。

しかし聖書の詩編は、もっと生々しい。

友人の死、家族への思い、貧しさ、恐れ、怒り、孤独。そうしたものを隠さず神の前に持っていくこと自体が、祈りになっています。

その意味で、「Friends, Family & God」は、教会の礼拝で歌われる典型的な賛美歌とは違いますが、人生の現実を神の前に置こうとする歌として、詩編的な性格を持っているのではないでしょうか。

屋根を壊した四人の友達

この曲を聴いていて思い出すのは、マルコによる福音書2章です。

一人の中風の人が、四人の友人に運ばれてイエス様のもとへやって来ます。

しかし、人が多すぎて家の中に入れない。

普通なら、ここで諦めます。

「今日は混んでいるから、また来週にしよう」

ところが彼らは屋根を壊し、病人を寝かせたまま、イエス様の前につり降ろしました。

なかなか迷惑な話です。礼拝中に突然、天井から人が降りてきたら、牧師としては説教を中断せざるを得ません。

しかし聖書は、イエス様が「彼らの信仰を見た」と記しています。

病人一人の信仰ではありません。

彼らの信仰です。

自分ではイエス様のところまで行けない人を、友達が運んできた。本人の足が動かなくても、友人たちの足が動いた。本人が何もできなくても、誰かが屋根まで壊してくれた。

人は、一人では生きられません。

信仰さえ、一人だけで守り抜けるものではありません。

疲れたときには祈ってくれる人が必要です。自分では教会まで行けない日に、連れていってくれる人が必要です。神様を信じられなくなった日に、代わりに信じて待ってくれる人が必要です。

Friends, Family & God。

友達、家族、そして神。

これは単なる「大切なものベスト3」ではありません。

神が友人を与え、神が家族を与え、その友人や家族を通して弱い私たちを支えてくださる。だから、振り返ったときに感謝が生まれるのです。

「神様」は、どの神様なのか

もちろん、この一曲だけを取り出せば、「Godとは誰のことなのか」という疑問は残ります。

日本語の「神様」は便利な言葉です。

運がよかったときにも「神様ありがとう」と言います。すごい選手を「神」と呼び、対応のよい店員さんまで「神対応」と呼びます。

しかし、Kvi Babaの場合は曖昧ではありません。

メジャー1stアルバムは『Jesus Loves You』。メジャー2ndアルバムは『Shout Out to Jesus』です。

その冒頭曲では、すべての栄光を主に帰し、自分が成し遂げたからではなく、主がしてくださったのだと賛美します。そして、十字架はもう単なるアクセサリーではない、と告白します。

2025年8月には、その『Shout Out to Jesus』を冠した日本武道館公演を開催し、一万人を動員しました。

十字架を掲げ、「Jesus」と叫ぶ日本人ラッパーの声を、一万人の若者が武道館で聴いたのです。

これはもう、「一部の教会音楽好きの間で話題」という規模ではありません。

数十年ぶりなのか

私は最初、こう思いました。

これは久米小百合さん、本田路津子さん、森祐理さん、小坂忠さん、岩渕まことさんらの系譜に連なる、メジャーで活躍するクリスチャン音楽家ではないか。

ただ、「数十年ぶり」と言い切るのは正確ではありません。

日本のクリスチャン音楽の系譜は途切れていません。小坂忠さんや岩渕まことさんをはじめ、教会の内外で歌い続けた音楽家は大勢います。近年にも、優れたクリスチャンバンドやゴスペルシンガーがいます。井草聖二さんのように、ギターという楽器の可能性を広げながら、教会音楽の豊かな伝統を現代のリスナーへ届けている音楽家もいます。

その存在を無視して「何十年も誰もいなかった」と書くべきではないでしょう。

しかし、メジャーレーベルに所属し、ヒップホップシーンの第一線で活動し、一億回再生され、武道館を満員にし、なおかつ「Jesus」の名をここまで正面から掲げる日本人アーティストとなると、近年きわめて異例です。

小坂忠さんや岩渕まことさんが、教会音楽と日本のポップスの間に橋を架けてきたとすれば、Kvi Babaは、ヒップホップという別の場所から、同じ福音の問いを投げかけているのかもしれません。

これは日本のキリスト教会が、もっと真剣に受け止めてよい出来事だと思います。

彼を教会の広告塔にしてはいけない

ただし、Kvi Babaを見つけた教会が、すぐに「若者伝道に使える!」と考えるなら、それも違います。

彼の曲を礼拝で流せば若者が来るとか、牧師がラップを始めれば教会が若返るとか、そういう話ではありません。

いや、私が急にキャップを斜めにかぶってラップを始めても、たぶん若者は来ません。教会員が心配するだけです。

大切なのは、形をまねることではなく、彼が歌っている弱さに耳を傾けることです。

孤独。家族の痛み。失った友人。自分への嫌悪。愛されたいという願い。神を信じていても消えない苦しみ。

彼が人気なのは、若者がそうした痛みを抱えているからではないでしょうか。

そして彼は、その弱さを克服して強者になったから神を賛美するのではありません。

弱いまま、めちゃくちゃなまま、それでも愛されていると歌うのです。

教会が若者に伝えるべき福音も、本来それだったはずです。

ちゃんとしてから来なさい。

生活を整えてから来なさい。

疑いをなくしてから来なさい。

そんな福音ではありません。

弱いままで来てよい。めちゃくちゃでもよい。友達に運ばれてでも、イエス様の前に来てよい。

なぜなら、Jesus Loves Youだからです。

Kvi Babaの声は、すでに若者たちに届いています。

問題は、若者に神の声が届いていないことではないのかもしれません。

高齢化した私たちの教会が、神様が今、教会の外でどのような声を用いておられるのか、感知できなくなっていることのほうかもしれません。

教会がKvi Babaを発見したのではありません。

もしかすると神様が、Kvi Babaを通して、教会のほうに問いかけておられるのです。

あなたがたは、弱い人の声をちゃんと聴いているか。

嘆きと感謝が同居する祈りを、ちゃんと受け止めているか。

一人で来られない人を、友達と一緒に迎えているか。

そして、本当に「弱くても、めちゃくちゃでも、イエスはあなたを愛している」と伝えているか、と。

▲武道館を埋めたKvi Babaのライブの様子

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