100年間人口調査すらできない国 レバノン

教会と国家

100年間人口調査すらできない国 レバノン

レバノンを「普通の国」と思ってはいけない

レバノンを普通の国だと思う錯覚

イスラエルがレバノン南部で作戦を続けている、と聞くと、多くの日本人は「またイスラエルが隣国レバノンに攻め込んでいるのか」と受け止めるかもしれません。
もちろん、民間人が犠牲になる戦争を軽く見ることはできません。しかし、それでもなお、私たちは一つの誤解を避ける必要があります。
レバノンは、日本人が何となく想像しているような「普通の国」ではありません。

国境があり、国旗があり、首都ベイルートがあり、国連にも加盟している。だから日本や韓国と同じような「一つの国」だと思ってしまう。けれどもレバノンは、最初から宗教的にも政治的にも、非常に危ういバランスの上につくられた人工的な国家でした。

ほぼ100年、人口を数えられない国
レバノンでは、1932年を最後に、宗派別の公式な国勢調査が行われていません。2026年現在で約94年です。タイトルは少し丸めた表現ですが、ほぼ一世紀にわたって「国民がどの宗派に何人いるのか」を数えることすら政治的に危険すぎる国なのです。
なぜ人口調査ができないのか。
それは、人口比がそのまま権力配分に直結するからです。
日本なら、国勢調査は行政手続きです。しかしレバノンでは、人口調査は火薬庫にマッチを近づける行為になり得ます。人口を数えれば、「大統領は本当にマロン派のままでよいのか」「首相はスンニ派でよいのか」「国会議長はシーア派でよいのか」「議席配分はこれでよいのか」という話になる。誰かが得をし、誰かが損をする。損をする側は当然怒る。怒りは宗派対立となり、宗派対立は内戦の記憶を呼び起こす。
つまりレバノンでは、「人口を数える」という、国家の基本中の基本すら、国家を壊しかねないのです。
南ではイギリスの三枚舌、北ではフランスの線引き
イスラエル・パレスチナ問題を語る時、よく批判されるのがイギリスの「三枚舌外交」です。
第一次世界大戦中、イギリスはアラブ人には独立を匂わせ、フランスとはサイクス・ピコ協定でオスマン帝国領を分け合い、さらにバルフォア宣言でユダヤ人の民族的郷土建設を支持しました。そのため、イスラエル建国をめぐっては、イギリスがパレスチナに混乱の種をまいた、と批判されます。
しかし、パレスチナの北側、つまりシリアとレバノンでは、フランスもまた勝手な国境線を引いていました。
第一次世界大戦後、フランスはシリアとレバノンを自分たちの勢力圏として扱いました。1920年、フランスはベイルート、沿岸都市、ベカー高原などを、それまでのレバノン山地に加えて「大レバノン」をつくります。これによって、マロン派は最大勢力ではあり続けたものの、もはや明確な多数派ではなくなりました。
これは単なる地図上の線引きではありません。
フランスは、レバノン山地にいた親西欧的なキリスト教勢力、特にマロン派を国家設計の柱に据えながら、そこにスンニ派、シーア派、ドゥルーズ派、ギリシア正教徒、アルメニア人などを加えて、一つの国家をつくったのです。
言い換えれば、パレスチナでイギリスが矛盾した約束によって混乱を残したように、その北側ではフランスが、自国の影響力を維持しやすい形で、宗派のモザイクを一つの国家に仕立て上げたのです。
大レバノンという人工国家
レバノンは、もともと「山」の国でした。
レバノン山脈は、中央権力から距離を置きたい少数派宗教共同体の避難所のような場所でした。マロン派キリスト教徒、ドゥルーズ派、その他の小共同体が、山に守られながら生き延びてきた。
ところがフランスは、その山の共同体だけでなく、沿岸都市や内陸部まで一つにまとめて「大レバノン」としました。
ここで問題が起こります。レバノン山地を中心にすれば、マロン派キリスト教徒は強い地位を持ちます。しかし沿岸部やベカー高原を加えれば、イスラム教徒の比率が大きくなる。国家は広がるが、宗派バランスは不安定になる。
結果としてレバノンは、「一つの国民国家」というより、「複数の宗派共同体を無理に一つの屋根の下に入れた共同住宅」のような国になったのです。
十字軍時代から親西欧だったマロン派
その国家設計の柱に置かれたのが、マロン派でした。
マロン派は、東方カトリック教会の一つです。東方教会の典礼伝統を持ちながら、ローマ教皇と交わりを持つ教会です。
マロン派とローマ教会の関係は、フランス委任統治時代に始まったものではありません。少なくとも十字軍時代には明確化していました。中東の山岳地帯で生き延びてきた少数派キリスト教徒が、西方キリスト教世界、ローマ、そして後にはフランスに、自分たちの保護者を見いだしていったのです。
フランスから見れば、これは実に都合のよい存在でした。
中東に影響力を残したい。オスマン帝国崩壊後の地域秩序に関与したい。その時、親フランス的で親西欧的なマロン派は、レバノン国家を設計するうえで格好のパートナーだったのです。
ここに、レバノンという国の出発点の歪みがあります。
フランスは、少数派キリスト教徒を保護するという名目で、マロン派を国家の中心に置いた。しかしその国家には、多数のイスラム教徒や他宗派も含まれていた。結果として、レバノンは独立後も「誰の国なのか」という問いを抱え続けることになりました。
マロン派が国家の中心に置かれた国
建国期のレバノンでは、マロン派が政治の中心に置かれました。
大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派という宗派配分の慣行が形成されます。もちろん、法律上「マロン派が一級市民で、イスラム教徒が二級市民」と書かれていたわけではありません。しかし、国家の象徴である大統領職をマロン派が担い、政治制度全体が宗派配分で設計された以上、実質的にはマロン派が国家の中心にいたと言ってよいでしょう。
日本人にとって身近な名前を挙げれば、カルロス・ゴーンもレバノン系マロン派として知られています。ここでゴーン氏個人の是非を論じたいのではありません。日本人が「レバノン」と聞いて思い浮かべる国際的エリート像の背後にも、こうしたマロン派を中心とするレバノン社会の歴史があるということです。
宗派ごとの持ち分で動く政治
レバノン政治は、日本のように「与党か野党か」という単純な構図ではありません。
マロン派か、スンニ派か、シーア派か、ドゥルーズ派か。親フランスか、親シリアか、反シリアか。親イランか、反イランか。アラブ民族主義か、レバノン独自主義か。
いくつもの軸が重なって、政党が分かれます。大シリア主義を支持する人もいれば、レバノンをシリアとは別の固有の国家として守りたい人もいる。親西欧的なキリスト教勢力もあれば、イランと結びついたシーア派勢力もある。
だからレバノンは、普通の意味での国民国家ではありません。宗派ごとの力関係を調整し続けることで、何とか崩壊を避けている国家なのです。
国家の中の国家、ヒズボラ
この構造の中で出てくるのが、ヒズボラです。
ヒズボラは単なる「レバノンの政党」でも「民兵」でもありません。シーア派共同体に根を持ち、福祉や政治活動も行いながら、同時に強力な武装組織でもある。さらにイランから長年支援を受け、イランの地域戦略と結びついてきました。
現在のレバノン問題を「イスラエル対レバノン」とだけ見ると、ここを見誤ります。
実際には、「イスラエル対ヒズボラ」であり、同時に「レバノン国家対ヒズボラ」でもあり、さらに「レバノンを舞台にしたイラン対イスラエル」でもあるのです。
普通の国なら、「なぜレバノン政府は、自国領内の武装組織を統制しないのか」と問うでしょう。しかし、それができないからレバノンなのです。
中央政府よりも強い、あるいは少なくとも中央政府が簡単には手を出せない武装勢力が国内に存在する。しかもその勢力は、国内の一宗派共同体の代表性を持ち、外国勢力イランの後ろ盾も持つ。これは、国家の中にもう一つの国家があるようなものです。
「暫定」が半世紀続く国
レバノン政府の弱さを象徴するものが、国際連合レバノン暫定隊、いわゆるUNIFILです。
UNIFILは1978年、イスラエル軍のレバノン撤退を確認し、国際平和と安全を回復し、レバノン政府が南部で実効的な権威を回復することを助けるために設置されました。
しかし、ここで考えなければなりません。
「暫定」と言いながら、この国連部隊は半世紀近くレバノン南部に駐留してきたのです。暫定のはずの国連部隊が50年近く存在している。それは、レバノン政府の権威が南部に十分及んでこなかったことの、何よりの証拠ではないでしょうか。
しかも興味深いことに、このUNIFILにはフランス軍の存在感も大きい。かつてフランスは委任統治下で、親西欧的なマロン派を国家設計の柱に据え、大レバノンをつくりました。そのフランスが、今も国連の青いヘルメットを通してレバノン南部に関与している。
もちろん、現代のフランス軍は委任統治軍ではありません。UNIFILは国連の平和維持活動です。しかし歴史の皮肉として、レバノンを人工的に形づくった旧宗主国フランスが、100年後もなお、その国の統治不全の現場に兵を出しているのです。
「人口調査すらできない国」という問題は、単なる統計の問題ではありません。レバノン政府が国の全域を完全には統治しきれないという、国家そのものの弱さの問題なのです。
「レバノン市民が代価を払わされている」
この点について、現在のレバノン大統領ジョセフ・アウンは、かなり踏み込んだ発言をしています。
アウン大統領は、イランがレバノンをアメリカとの交渉材料にしていると批判し、レバノンの人々がイランの利益のために「代価を払わされている」と述べました。つまり、レバノン政府の目から見ても、問題は単純に「イスラエルがレバノンを攻撃している」というだけではありません。
イランがヒズボラを通じてレバノンを利用している。ヒズボラは「抵抗」の名でレバノンを戦場にしている。そしてその結果、家を失い、家族を失い、町を壊されるのは、普通のレバノン市民なのです。
ヒズボラ弱体化を内心で歓迎する人々
ここで、非常に言いにくい現実があります。
ヒズボラが弱体化することを、内心で歓迎するレバノン人がいても不思議ではない、ということです。
特に、マロン派をはじめとする反ヒズボラ勢力にとって、ヒズボラは「イスラエルへの抵抗組織」であると同時に、「レバノン国家を麻痺させる武装勢力」でもあります。
もしイスラエルがヒズボラを軍事的に撃退するなら、それはレバノン政府、とりわけヒズボラの武装解除を望む勢力にとって、都合のよい面を持つ。
もちろん、彼らはそれを大声では言えません。なぜなら、それを言えば「イスラエルの手先」と呼ばれるからです。中東でそれは、政治的な死刑宣告に等しい。
けれども、現実には、レバノン国内には「ヒズボラが勝つこと」よりも「ヒズボラが弱ること」を望む人々がいる。この複雑さを見ずに、「イスラエルがレバノンを攻撃した。だからイスラエルが悪い」とだけ言うのは、あまりにも善悪二元論に単純化しすぎです。
単純な善悪図式では見えない
もちろん、だからといってイスラエルの攻撃で民間人が死ぬことを正当化してよいわけではありません。しかし問題は、レバノン市民が、国家でもない武装組織と、外国勢力の代理戦争の代価を払わされていることです。イランはヒズボラを通じてイスラエルに圧力をかける。ヒズボラは「抵抗」の名でレバノンを戦場にする。イスラエルは自国防衛の名でレバノンを攻撃する。そして最後に家を失い、家族を失い、未来を奪われるのは、普通のレバノン市民です。
レバノンは、国家でありながら、国家であることに失敗し続けてきた国です。いや、より正確に言えば、国家になろうとしながら、宗派共同体の均衡によって辛うじて保たれてきた国です。
南では、イギリスがパレスチナに矛盾した約束を残した。北では、フランスがシリアとレバノンを切り分け、親西欧的なマロン派を柱にした国家をつくった。
その結果として生まれたレバノンは、今もなお、自分自身を統治しきれないまま、ヒズボラとイランとイスラエルの狭間で揺れ続けています。
祈るためにも、まず知ること
だからこそ、私たちは祈らなければなりません。
イスラエルのためにも。レバノンのためにも。マロン派のためにも。シーア派のためにも。スンニ派のためにも。ドゥルーズ派のためにも。
そして何より、国家や宗派や武装組織の名の下で、今日も家を失い、家族を失い、未来を奪われている一人ひとりのために。
同時に、私たちは知る努力をしなければなりません。
「かわいそうなレバノン」と「悪いイスラエル」という単純な図式では、この地域の現実は見えてきません。
レバノンとは、100年近く人口調査すらできない国です。
その一言だけでも、この国がどれほど危うい均衡の上に立っているかが分かるのです。

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