収穫感謝礼拝 全てのものを養われる神様に感謝しよう
収穫感謝礼拝は、私たちの食卓に並ぶ米やパン、野菜や果物、肉や魚、そのすべての背後におられる主を覚える日です。詩編104編は、光、天、海、山、泉、草、家畜、人間、海の生き物に至るまで、天地万物を造り、今日も養っておられる神を賛美します。雨や太陽、土の力、成長の過程すべてを導いておられるのは主であり、私たち自身のいのちもまた、主の御手の中に保たれています。「すべてのものはあなたを待ち望み…あなたの御手を開かれると、良いもので満ち足りる」とあるように、私たちは自分の力で生きているのではなく、神の恵みによって生かされています。 新約聖書は、この世界を造り保っておられる方こそ、十字架にかかられたキリストご自身だと教えます。万物はキリストによって造られ、キリストによって保たれています。つまり、私たちがいただく一切の実りは、創造主の恵みであると同時に、十字架の血潮によって贖われ、なお保たれている世界の中で受け取っている恵みです。ここに啓示による形而上学的変化を伴います。詩人が歌う「ぶどう酒」「油」「パン」は、最後の晩餐において「これはわたしの血」「これはわたしのからだ」と示されたキリストを指し示す前ぶれでもあります。一粒の麦として死なれた主から、「赦し」と「永遠のいのち」という最大の収穫が与えられました。
同時に詩編104編は、「人は朝に出て行き、夕方まで働く」と歌い、人の労苦も主の御業の中に位置づけます。畑を耕す人、運ぶ人、店に立つ人、家庭で食卓を整える人、そのすべての働きを通して主は私たちを養ってくださいます。十字架と復活のキリストに結びつくとき、私たちの小さな労苦も決してむだではありません。
収穫感謝礼拝は、「今年も何とか食べてこられました」という以上に、限りある私たちが、創造主であり救い主であるキリストの恵みに立ち返る礼拝です。日々の普通の食卓に感謝し、自分と隣人の働きを覚えて祈り、与えられた豊かさを分かち合う者として歩みましょう。すべての実りの源であり、最大の実りであるキリストに、共に感謝と賛美をささげたいと思います。
※サムネイルはピーテル・ブリューゲル作『穀物の収穫』


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