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教会と国家

キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(1)組織神学的考察 カール・バルトの言説から紐解いて

現代に生きるキリスト者が政治的立場を考えるとき、信仰と政治が全く別の問題であるとは言い切れません。信仰は人の価値観、人生観、倫理観に深く浸透し、政治的判断にも大きく影響を与えるものです。したがって、クリスチャンが特定の政治思想や政党を支持することについて考えることは、決して無意味でも場違いでもありません。では、キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのかという問いはどうでしょうか。この問いは単なる政治的選択を超えて、「世界観と宗教観の衝突」という深い問題を含んでいます。
説教

ルカの福音書 22章39~46節 神の正義と神の愛のパラドックス

本日の御言葉はルカ22章39〜46節、オリーブ山での主イエスの祈りです。ルカは他の福音書と違い、「ゲッセマネ」という地名を書かず、「オリーブ山」「いつもの場所」とだけ記します。それは、この祈りが一度きりの出来事で終わらず、すべての時代の弟子に共通する「信仰の戦い」「祈りの模範」として、私たち一人ひとりの歩みに重ねられるためだと言われています。
説教

創世記44~45章 年十二回で読む創世記 ヨセフ物語後編

創世記44~45章は、ヨセフ物語の頂点であり、神の救いの原型が輝く場面です。ここで中心に立つのは、意外にも兄ユダです。かつてヨセフを銀二十枚で売り飛ばすことを提案した彼が、今度は弟ベニヤミンのために自分の身を犠牲にしようとします。ヨセフが仕掛けた試みの中で、銀の杯がベニヤミンの袋から見つかり、彼が奴隷にされようとしたとき、ユダは一歩前に出て訴えます。「どうか、このしもべを少年の代わりに奴隷として残し、少年を父のもとに帰らせてください」(創44:33)。これは、自己中心な男が他者のために命を差し出そうとする決定的な変化でした。神がその心を砕き、悔い改めの器へと造り変えられたのです。ユダのこの姿は、やがて十字架にかかられるイエス・キリストの予型です。主もまた、罪人の代わりに自らをささげられました。
説教

ヨハネ14章1~3節 父の家でまた会いましょう

今日は昇天者記念礼拝です。私たちは愛する人を思い起こし、悲しみと感謝の中で神の前に立ちます。別れはいつも胸に痛みを残しますが、イエス・キリストは弟子たちにこう語られました。「あなたがたは心を騒がせてはなりません。わたしの父の家には住まいがたくさんあります。」――これは、「別れは終わりではない」という慰めの約束です。
お知らせ

2025年11月2日は永眠者記念礼拝を行います。

主の御名を賛美します。酷暑と言われる長い長い夏が終わり、ようやく秋を感じる時季となりました。皆様いかがおすごしでしょうか...
お知らせ

エンジョイプレイスがグリーンコープからサポートを受けることになりました

エンジョイプレイスがグリーンコープ様からサポートを受けることになりました
お知らせ

2025年10月19日教養としてのキリスト教入門のお話をします。

教養としてのキリスト教入門我孫子バプテスト教会では毎週日曜朝10時半から正午まで日曜礼拝をしています。クリスチャンの方も...
サブカルを神学してみた

チ。原作8話を神学してみた。そもそも占星術ってOKだったの?

原作8話の第二集P65ページにおいて、グラスとオクジーは石箱を発見し、異端者の手紙を発見します。その中で異端者がもともと占星術師として生きてきたことが明かされています。チの物語の中では地動説が異端の学説とされ大問題になっていますが、実際の歴史の中では、地動説うんぬんよりのそもそも占星術の方が異端とされるような大問題だったのです。そこで、今回は中世ヨーロッパにおける占星術の位置づけについて神学してみたいと思います。
教会と国家

信教の自由の観点から旧統一協会の解散命令請求に反対します

世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会、旧統一協会に対する解散命令請求に関して、私は信教の自由の立場から反対します。
説教

ルカ21章1~4節 聖書に出てくる『貧者の一灯』

仏教における「貧者の一灯」、聖書における「やもめの献金」。この二つの物語は驚くほど似ていますが、実際には宗教的世界観の違いを鮮やかに映し出しています。今日は、この両者を比較しながら、聖書を信じる者として後者の素晴らしさ解き明かしたいと思います。