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サブカルを神学してみた

チ。原作12話を神学してみた。地動説は神を消したのか?

※この記事は、マンガ原作『チ。―地球の運動について―』第12話、アニメ第6話までのネタバレを含みます。以下の過去作をまだ...
時事問題

「弱者なら正義なのか――被害者ムーブを神学してみた」

セクハラやパワハラは軽んじられてよいものではありません。立場の強い者が、その権力や影響力を用いて、弱い立場の人を傷つけるなら、それは厳しく問われるべきです。聖書もまた、孤児、寡婦、寄留者、貧しい者を守るように何度も命じています。神は、弱い者の叫びを聞かれるお方です。しかし、ここで一つ注意しなければならないことがあります。聖書は、「弱い立場にいる人は、いつも正しい」とは教えていません。
説教

使徒 3章全節 お金より大切なもの見つけた

生まれつき足の不自由だった一人の人が、主イエスの御名によって立ち上がる出来事が記されています。この人は毎日、「美しい門」と呼ばれる神殿の門のそばに置かれ、施しを求めていました。「美しい門」が正確にどの門であったかは断定できませんが、神殿の礼拝空間へ向かう大切な境界にあった門でした。彼は礼拝へ向かう人々を見ながら、自分は門のそばに置かれ、今日を生きるための施しを求めていたのです。
教会と国家

国旗は罰し、十字架は赦す 国旗損壊罪を神学してみた

2026年6月、自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党は、国旗損壊罪を創設する法案を共同で衆議院に提出しました。法案では、対象となる国旗を「国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」とし、著しく不快または嫌悪の情を催させる方法で、公然と損壊、除去、汚損した者に対し、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すとされています。つまり、この法案が成立すれば、本物の日の丸を尿瓶に入れて尿に浸し、それを公然と見せるような行為は、国旗の「汚損」と評価され、処罰対象になる可能性が高いと考えられます。一方で、キリスト教世界には、これと非常に対照的な出来事があります。アメリカの写真家アンドレス・セラーノは、1987年に《Piss Christ》という作品を発表しました。これは、プラスチック製の磔刑像を尿に浸して撮影した写真作品です。多くのキリスト者から強い批判を受けた作品ですが、そのセラーノは2023年6月、バチカンで教皇フランシスコと面会した約200人の芸術家の一人でした。
説教

出エジプト記16章 森永のお菓子マンナを神学してみた。年十二回で学ぶモーセ五書 不思議な食べ物マナによる訓練

森永のお菓子「マンナ」は、出エジプト記の「マナ」に由来します。荒野を旅するイスラエルの民に、神が天から与えられた不思議な食べ物です。今日は出エジプト記16章全体を通して、マナが単なる奇跡の食物ではなく、救われた民を訓練する神の恵みであったことを学びます。
時事問題

死海の水を神学してみた。水を奪う国から水を分かち合う国へ

聖書の族長物語には、井戸をめぐる争いが何度も出てきます。アブラハムとアビメレクの間にも井戸をめぐる緊張がありました。イサクの時代にも、ゲラルの羊飼いたちと井戸をめぐって争いが起こりました。イサクはその井戸を「エセク」、つまり「争い」と名づけ、次の井戸を「シトナ」、つまり「敵意」と名づけました。そして、ようやく争われない井戸を得たとき、「主が今や、我々の場所を広げてくださった」と言い、その井戸を「レホボト」と呼びました。古代の族長たちにとって、水は単なる生活資源ではありませんでした。水は命であり、家畜であり、土地であり、未来でした。水がなければ、家族も群れも生きられません。だから井戸は、時に戦争の理由になりました。
サブカルを神学してみた

チ。原作10話を神学してみた。好奇心は罪なのか?――バデーニの片目と「第一J書」

原作9話までのネタバレを含みます。また、原作の話数に合わせて神学(考察)していきますので、以下の過去作をまだご覧になって...
説教

使徒2章41~47節 中国天津に天津飯は存在しない

「天津飯」という料理があります。ところが、この天津飯、名前からするといかにも中国の天津市の名物料理のようですが、実際には中国天津の伝統料理ではありません。日本で生まれた、日本式中華料理です。つまり、私たちは「これは中華料理だ」と思って食べている。しかし、本場の中国の人から見ると、「え、それ何ですか?」となるかもしれない。もちろん、天津飯が悪いわけではありません。おいしい。立派な日本の食文化です。しかし問題は、「これは本場そのものだ」と思い込むことです。今日の問いはそこです。私たちのキリスト教は、天津飯になっていないでしょうか。
サブカルを神学してみた

チ。原作9話を神学してみた。私審判と最後の審判。天国行きの判定はいつ出るのか?

原作9話、第二集92ページあたりで「私審判」という言葉が出てきます。この「私審判」という言葉、おそらく多くの日本人にとっては聞き慣れない言葉だと思います。私もプロテスタントの牧師ですから、普段の説教や教会生活の中で「私審判」という言葉を多用することはありません。これはどちらかと言えば、カトリック神学の用語です。しかし、この言葉が『チ。地球の運動について』の中で出てくるのは、なかなか興味深いのです。
教会と国家

100年間人口調査すらできない国 レバノン

イスラエルがレバノン南部で作戦を続けている、と聞くと、多くの日本人は「またイスラエルが隣国レバノンに攻め込んでいるのか」と受け止めるかもしれません。しかし、レバノンは、日本人が何となく想像しているような「普通の国」ではありません。レバノンは、最初から宗教的にも政治的にも、非常に危ういバランスの上につくられた人工的な国家でした。レバノンでは、1932年を最後に、宗派別の公式な国勢調査が行われていません。、ほぼ一世紀にわたって「国民がどの宗派に何人いるのか」を数えることすら政治的に危険すぎる国なのです。