チ。原作11話を神学してみた。バデーニの変な髪型、実は「いばらの冠」だった?

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かなり奇天烈なその見た目

原作11話で、いよいよバデーニが本格的に登場します。

片目に傷を負い、いかにも癖が強そうで、しかも口も悪い。
この人、本当に修道士なのか。いや、修道士なのにこんなに感じ悪くていいのか。

そんなことを思いながら読んでいると、もう一つ目に飛び込んでくるものがあります。

そうです。髪型です。

頭の上の部分が丸く剃られ、周囲にだけ髪が残っている、あの独特すぎる髪型。現代日本の感覚からすると、かなりインパクトがあります。正直、初見だと「なぜその髪型にした?」と思う人もいるでしょう。

しかし、実はここが面白いのです。

あれは単なるキャラデザインではありません。中世ヨーロッパの教会文化をかなり意識した描写です。名前は「トンスラ」。ラテン語の「刈る」「剃る」を意味する言葉に由来します。カトリック百科事典でも、トンスラは髪を刈ることによって聖職者の身分に受け入れられる儀式として説明されています。

このマンガ、凄くないですか?

バデーニは「ただの学者」ではなく「教会の人間」である

原作11話では、オクジーがバデーニと関わることで、物語は単なる逃亡劇から、知と信仰と危険が絡み合う第二章へと入っていきます。

バデーニは修道士です。つまり、言わずもがな、C教、もといキリスト教的な世界の内部にいる人物です。

けれども彼は、いわゆる「信仰深くて穏やかな聖職者」というタイプではありません。むしろ、知性が鋭すぎて、周囲に馴染めず、危険な問いに踏み込んでいく人物です。

ここで大事なのが、彼の髪型です。

トンスラは、読者に対して一目で「この人物は教会制度の中にいる」と知らせる記号になっています。日本のマンガでいえば、侍のちょんまげ、僧侶の剃髪、警察官の制服のようなものです。

もちろん、すべてに精通しているわけではありませんが、少なくともこの髪型ひとつで、魚豊先生が「中世っぽい雰囲気」をなんとなく描いているだけではないことは分かります。このあたりに、作者の魚豊先生の時代考証の深さを感じます。

トンスラは「おしゃれ」ではなく「私はこの世を捨てます」というサイン

聖書を読んだことのない人にとっては意外かもしれませんが、キリスト教はもともと「髪型で救われる」と教える宗教ではありません。

新約聖書で大事なのは、髪型ではなく、キリストへの信仰です。たとえばガラテヤの信徒への手紙には、「キリスト・イエスにおいては、割礼の有無は問題ではなく、愛によって働く信仰こそ大切です」(ガラテヤ5章6節)という趣旨の言葉があります。

ですから、プロテスタントの牧師である私からすると、「髪をこう剃ったから神に近い」という発想には少し違和感を覚えるところがあります。

ただし、中世の人々にとって、身体の見た目はかなり大きな意味を持っていました。服装、髪型、冠、指輪、杖、修道服。そういうものが、その人の身分や役割を示していたのです。

トンスラもその一つです。

特に修道士にとって、髪を剃ることは「この世の名誉や流行から離れる」という意味を持ちました。現代風にいえば、「私は映えを捨てます」「モテを捨てます」「世間的な成功より、神への奉仕を選びます」というサインです。

めちゃくちゃ強い意思表示です。

ただし、バデーニの場合が面白いのは、彼が本当に謙遜で清らかな修道士として描かれているわけではないことです。むしろ、プライドは高い。知への欲望も強い。人当たりも悪い。

つまり、外見は「この世を捨てた人」なのに、内面にはまだ燃え盛るような野心と知的欲求がある。

ここがバデーニというキャラクターの面白さです。

「聖ペトロ型」「聖パウロ型」「ケルト型」まであった

トンスラと一口に言っても、実は形はいろいろありました。

有名なのは、頭のてっぺんを丸く剃って、周囲の髪を輪のように残すローマ式、あるいは聖ペトロ型と呼ばれるものです。1911年版の『ブリタニカ百科事典』では、ローマ式トンスラはフランス、スペイン、イタリアなどで広まり、周囲に残した髪が「いばらの冠」を象徴すると説明されています。

いばらの冠。

ここで急に、キリストの受難が出てくるのです。

イエス・キリストは十字架につけられる前、兵士たちから侮辱され、いばらの冠をかぶせられました。王の冠ではなく、嘲笑と苦しみの冠です。

つまり、あの不思議な髪型は、ただの「中世のお坊さんヘア」ではありません。キリストの苦しみにあずかる者、世の栄光ではなく十字架の道を行く者、という象徴にもなりえたのです。

そんなわけないだろうと思うかもしれません。

でも、中世ヨーロッパでは、見た目そのものが神学でした。建物も、服も、髪型も、礼拝堂のステンドグラスも、識字率の低い世界で、見た目全部が「目で見る信仰教育」だったのです。

これ、現代日本の教会にも通じるところがあります。

牧師が礼拝でガウンを着るかどうか。聖餐卓に白布をかけるかどうか。十字架を会堂の正面に置くかどうか。現代のプロテスタント教会でも、カトリック教会ほどでないにしても「見た目」は意外と信仰理解に関わっています。

「中身が大事だから外見はどうでもいい」と言いたくなりますが、実際には外見が中身を伝えることもあるのです。

でも、聖職者のしるしが人を救うわけではない

ここで牧師として、少しツッコミを入れておきます。

もしキリスト教が、「トンスラをしている人は偉い」「剃髪している人ほど神に近い」「見た目が宗教的なら中身も正しい」と教える宗教なら、私は今のように信仰を持っていたかわかりません。

聖書の神は、外見だけを見る方ではありません。旧約聖書のサムエル記には、「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(サムエル記上16章7節)という有名な言葉があります。

これ、けっこう肝要です。

バデーニのトンスラは、彼が教会の中にいる人物であることを示します。しかし、それだけで彼が正しい人間になるわけではありません。むしろ『チ。』は、教会制度の内側にいる人間が、知への欲望、権力、恐れ、信仰、孤独の中で揺れている姿を描いています。

ここが単純な「宗教批判マンガ」ではないところです。

教会が悪で、科学が善。そんな単純な構図ではありません。少なくとも第11話以降、物語はもっと複雑になります。バデーニ自身が、教会の人間でありながら、禁じられた問いへと近づいていくからです。

現代のカトリックでは基本的に見ない髪型

ちなみに、現代のカトリックの神父さんを見ても、普通はバデーニのようなトンスラはしていません。

これは、単に現代人が恥ずかしがったから、という話ではありません。1972年、教皇パウロ6世の自発教令『Ministeria Quaedam』によって、ラテン教会では「初トンスラ(剃髪式)はもはや授けられない」と定められ、聖職者身分への加入は助祭叙階と結びつけられることになりました。

つまり、トンスラは現代カトリックでは新たに行われることのなくなったかなり歴史的な制度なのです。

ですから、バデーニの髪型は、現代の牧師や神父の感覚から見ると、かなり時代を感じさせます。しかし、作品世界の中世ヨーロッパ風の雰囲気を出すには、非常に分かりやすい記号です。

しかも、ただ分かりやすいだけではありません。

バデーニの頭の上にある丸い空白。
あれは、彼が神に仕える者であることを示すと同時に、彼の中にある欠落、孤独、あるいは飢えのようなものまで象徴しているようにも見えます。

少し読み込みすぎでしょうか。

でも、『チ。』という作品は、こういう読み込みをしたくなるマンガなのです。

トンスラを見て笑うか、問いとして読むか

現代日本人から見ると、トンスラはどうしても少しコミカルに見えます。

「頭頂部だけ剃るって、なかなか攻めているな」と思ってしまう。
それは仕方ありません。文化が違いますし、時代も違います。

けれども、そこで笑って終わるのは少しもったいない。

あの髪型には、中世の教会制度、修道生活、聖職者身分、キリストの受難、そして「この世を捨てる」という理想が詰まっています。

そして同時に、『チ。』はその理想をそのまま美化しません。

トンスラをしたバデーニは、聖人君子ではありません。むしろ厄介です。かなりの厄介者です。けれども、その厄介さの中に、人間の知性と信仰のリアルがあります。

私はプロテスタントの牧師ですから、中世カトリックの制度をそのまま肯定するわけではありません。トンスラによって聖職者と一般信徒をはっきり分ける発想には、プロテスタント的にはかなり距離を感じます。

でも同時に、教会が「信仰を見える形にする」ために、どれほど多くの文化を生み出してきたかは、やはり無視できません。

そして、その文化をマンガのキャラクターデザインの中に自然に織り込んでくる。

このマンガ、やっぱり凄みを感じます。

バデーニのトンスラは、ただの変な髪型ではありません。
それは、彼が教会の内側にいることを示しながら、その内側から危険な知へと手を伸ばしていく人物であることを、読者に一瞬で伝える記号なのです。

最後に

『チ。』は、髪型ひとつで神学できてしまうマンガです。

この作品をきっかけに、キリスト教や聖書そのものにも少し興味を持っていただけたら嬉しいです。
今後も「チ。地球の運動について」をはじめ、マンガ、アニメやゲーム、サブカルをテーマにして本物の牧師がいろいろ神学(考察)していこうと思います。感想、コメント、フォローくださると励みになります。また、神学(考察)してほしい、アニメやゲームがありましたら、コメントください。

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