『チ。―地球の運動について―』原作25話、アニメ11話までのネタバレを含みます。
また、原作の話数に合わせて神学(考察)していきますので、以下の過去作をまだご覧になっていない方はご覧ください。
チ。地球の運動について を神学してみた。|サブカル好きの牧師|note
チ。地球の運動についてを原作に基づいて、週2回くらいのペースで神学(考察)していく予定です。
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地球が動いても、研究者には居場所がいる
原作25話。バデーニは、地動説の研究がひとまず形になったことを、オクジーとヨレンタに伝えます。そして、さらに研究を進めるため、V共和国へ逃れる計画を明かします。
同じ席で、オクジーは大学で学ぶ夢を、ヨレンタは自分の名前で研究を発表する夢を語ります。三人がそれぞれの未来を思い描く、印象的な場面です。[1]
ここで、ちょっと気になりませんか。
「そのV共和国って、どこなん?」
地球が動いていると分かっても、そのことを研究し続けられる場所がなければ困ります。必要なのは、頭脳と観測記録に加えて、研究者が生きていける環境なのです。
今回は、本物のキリスト教の牧師である私が、バデーニの亡命先から、ヨーロッパの学問と教会の関係を神学、もとい、考察してみます。
有力候補は、水の都ヴェネツィア
V共和国のモデルとして考えられるのが、ヴェネツィア共和国です。
イタリア語ではVenezia。頭文字は、もちろんVです。共和国という政治体制も、作中の呼び名と重なります。ただし、これだけで「V共和国は絶対にヴェネツィアだ」と断定はできません。ここでは、有力なモデル候補として読んでみましょう。
今の私たちには、運河やゴンドラで知られる観光地ですが、かつてのヴェネツィアは、地中海に広い交易網を持つ海洋国家でした。[2]
その元首は「ドージェ」、日本語では総督と呼ばれます。世襲の王様ではなく、選挙で選ばれる終身の元首です。ただし、現在の民主主義とは違い、政治の中心にいたのは有力な商人貴族たちでした。[3]
「共和国」と聞いて、いきなり現代の自由で平等な国家を想像すると、少しずれます。
それでも、国王一人の王朝とも、教皇が直接治める国とも違う政治の仕組みがありました。ヨーロッパは、どこへ行っても同じ権力が支配していたわけではないのです。
自由を求めた先にも、教会があった
では、ヴェネツィアは宗教から解放された国だったのでしょうか。
ここは牧師として、ちょっと補足したいところです。ヴェネツィアも、キリスト教文化の濃い都市でした。
街の象徴は、翼のあるライオン。これは「マルコによる福音書」のマルコを表すしるしです。サン・マルコ大聖堂の「サン・マルコ」も、聖マルコという意味です。
ライオンが持つ本には、しばしば「Pax tibi Marce, evangelista meus」と書かれています。「わたしの福音記者マルコよ、あなたに平和があるように」という意味です。[4]
共和国の看板からして、めちゃくちゃキリスト教なのです。
ただし、キリスト教を信じることと、教皇の政治的要求にすべて従うことは、同じではありません。
時代は下りますが、1606年には、教会の財産や聖職者への司法権などをめぐり、ヴェネツィアと教皇が激しく対立します。共和国側の論陣を支えたパオロ・サルピは、なんと修道士でした。[5]
教会の権限をめぐる争いの中に、教会の人間もいた。実はここが面白いのです。
「宗教を信じる人」と「自由を求める人」を、きれいに別チームに分けることはできません。
バデーニに必要だったのは、こういう大学かもしれない
ヴェネツィア共和国と学問の関係を考えるとき、外せないのが、内陸のパドヴァ大学です。
1222年を創立年とする大学で、その成立には、ボローニャから移ってきた教師や学生たちが関わっています。大学自身も、その移動を、学問や表現の自由を求める歩みとして説明しています。[6]
つまり、学ぶ場所を変えてでも、学び続けたい人たちがいたのです。
後にヴェネツィアの支配下となったパドヴァでは、共和国の保護のもと、異なる宗教的背景を持つ人々も学べる環境が育ちました。とりわけ宗教改革後、信仰を理由に他の場所では居場所を失いかねない学者や学生にとって、その意味は大きかったのです。[7]
もちろん、こうした後世の状況を、そのまま作中の15世紀に当てはめることはできません。それでも、V共和国という行き先を考える手掛かりにはなります。
研究者にとって大切なのは、「好きなことを考えてよい」と言ってもらうことだけではありません。生活費、教える仕事、同僚、学生、本。研究を支える具体的なものが必要です。
バデーニが欲しかったのも、ただ身を隠す場所ではなく、仮説を検証し続けられる場所だったのでしょう。
ガリレオが過ごした「最良の18年間」
さらに時代を進めると、このパドヴァ大学に、あのガリレオ・ガリレイが登場します。
1592年から1610年まで、ガリレオはここで数学を教えました。後年、この時期を生涯で最良の18年間だったと振り返っています。[8]
この間、彼は力学の研究を進め、器具を作り、望遠鏡による天体観測にも取り組みました。木星の衛星などの発見は、従来の宇宙像を揺さぶっていきます。[9]
バデーニの時代とは隔たりがありますが、「新しい宇宙像を研究する人が、ヴェネツィア領で仕事を得ていた」というつながりは、興味深いと思いませんか。
ちなみに、ガリレオへの1616年の警告や1633年の裁判は、15世紀の出来事ではありません。[9]
『チ。』の世界を、そのまま「中世では地動説を考えたら必ず処刑された」という歴史の説明に使うのは、慎重でありたいところです。作品はフィクションとして、知を受け継ぐことの危険と情熱を描いています。
私は、そのうえで、亡命先にまで思いを巡らせる描写を楽しみたいのです。真理を発見する話に、その真理を研究できる場所の話まで入ってくる。このマンガ、凄くないですか?
水の都は、本の都にもなった
もう一つ、ヴェネツィアには、知識を広げるうえで重要な顔がありました。出版の都市という顔です。
作中の時代より後の15世紀後半から、ヴェネツィアでは印刷が発展し、やがてヨーロッパ屈指の出版拠点になります。その代表的な出版人が、アルド・マヌーツィオでした。[10]
彼はギリシャやローマの古典を刊行し、持ち歩きやすい小型の古典文学の本を広めました。いわば、文庫本を連想させる仕事です。その小型本で使われた斜体活字は、今日のイタリック体につながっています。[11]
パソコンで文字を斜めにする、あの字体の話にまでつながるのです。
学問には、発見する人と同じくらい、伝える仕組みが大切です。誰かの頭の中だけにある知識は、その人がいなくなれば失われかねません。本になって別の人に届けば、疑われ、確かめられ、さらに先へ進めます。
オクジーが文字を学び、ヨレンタが自分の名前で発表したいと願うことも、この流れの中で見えてきます。三人の夢は別々ですが、どれも知識を社会につなぐ夢なのです。
それでも、自由の楽園ではなかった
ここまで読むと、ヴェネツィアへ行けば全部解決しそうですが、歴史はそれほど気前よくありません。
ヴェネツィアにも異端審問はありました。1592年、思想家ジョルダーノ・ブルーノはこの地で逮捕され、翌年ローマへ引き渡されています。彼の事件には宇宙論に加えて神学上の争点もあり、単純に「地動説の研究者だから」と説明できるものではありません。[12]
政治的な独立や、ある範囲での学問の自由があっても、あらゆる思想が安全に認められるわけではなかったのです。
それでも、場所によって研究を続けられる可能性が違う。その違いに、研究者は人生を懸けます。
原作25話の酒場で語られる未来も、そんな切実さを帯びています。亡命して研究を進めたい。大学で学びたい。自分の名前を残したい。どれも、知識を求める人として尊重されたいという願いに聞こえます。
これ、現代日本の教会にも通じるところがあります。「その疑問を口にしていいのだろうか」と、人が身構える場所になってはいないでしょうか。
私はプロテスタントの牧師ですから、教会の理解も聖書に照らして問い直せることを大切にしたいと思っています。
聖書には「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい」とあります(テサロニケの信徒への手紙一5章21節、新共同訳)。直接には共同体の中の預言を扱う文脈ですが、信仰の場でも吟味が大切にされている言葉です。[13]
バデーニが目指すV共和国は、地図上の行き先であると同時に、「問いを抱えたまま、生きていける場所」なのかもしれません。
皆さんには、安心して疑問を口にできる場所がありますか?


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